セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

結局まだ脱出できないまま、今日外に花が咲いているのに気がついた

数日前、窓の外から見えてたんだけど、今日車に乗ったら見事に樹全部に花が咲いてて、ああ、あのイライラは木の芽時からなのかな、と納得した。

気温も暑くなってきたのになかなかお風呂に入らなくて、やらなきゃならないことも矢継ぎ早におっかぶさってくるもんだから追いつかなくて、溜まったものたちを見ては、部屋の埃を見てはうんざりしている。

 

私は多分全く痩せてないだろう。かかっている精神科の医師は入院してたて直せと言う。でも今の子供のサイクルを変えたくなくて、そして私自身も見知らぬ人と隣部屋の状態でいたくなくて、人と会いたくなくて、なので入院することは拒み続けている。

 

明日通院の日で、メイクしていかなければまた入院を勧められるんだろうな。

 

目を閉じていたい。酩酊していたい。そう思うばかり。今飲んでる。でも酒が抜けていくときのしんどさも感じたくなくて、だからワイン2杯程度が楽なんだ。いや、これでも抜け時がしんどいけど。

 

私はずっと人と違ってた。子供の頃から。

親は今で言うDV家庭だったし、母はそれから逃げるために仕事に依存していたし。

そして私は人の物を盗んでしまう、所謂盗癖のある虚言癖のある子供だった。

ずっとまともな人になりたかった。まともになろうと何度も努力して、人の物を盗むのをやめて、虚言癖をなおして、それも一生懸命習慣化された悪癖をひとつひとつ直して、でもやっぱりまたドロ沼の中に足を突っ込んで、それからまた必死で這い上がって、

今から5年前くらい、一瞬ふつうの人になれた気がしてたんだけど、やっぱりまたすぐ相変わらずのゴミ寸前の人間に戻った。

だけどここまで自分の面倒を見れなくなったのは生まれて初めてで、あんなに綺麗好きでお風呂好きだったのに、なんでこうなっちゃったのか。

 

子供の服は綺麗に整えて仕舞ってる。

 

綺麗な服を着せて、風呂にも毎日入れて、歯磨きのチェックもして、なのに自分のは面倒臭い。

 

生きているのがしんどい。

 

子供が居てくれるから生きてる。何も生まないこんな大きな肉の塊、死んだところで片付けるのもご迷惑をかけるから、死なない。

あの子がいてくれるから生きてる。

愛してくれる人はいないし、私も愛したい人はいない。

 

母は相変わらず私の話は聞かない。

 

悲しいなあ。なんでこうなっちゃったのかなあ。