セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

やっちまった

とうとう、とうとうとうとうシャブ買っちゃった。あーあ。打った方が経済的だと、血中濃度がいきなり最高値に行くからあぶりやスニッフじゃ味わえない快感が来るらしいから注射器も買って、「静脈注射の仕方、初心者」とか調べに調べて、でも私も目が見えなくなって来てるから、そんな緻密な作業は無理だった。

両腕とも刺しまくっては外して血だらけにして内出血で青タンがぼこぼこついて、もうしばらく袖はまくれない手になった。1時間くらい静脈注射と格闘してたんだけど諦めて、勝手知ったるあぶりで入れてみた。でも噂に聞くように昔みたいに3日間一睡もできないとかじゃないの。毎日眠剤飲んでるけど、それで楽々寝れた。最初、クスリを買った夜が気になって気になって、でも朝から始めなきゃと手をつけずにいた就寝中は何度も起きた。のに、いざ使うと寝る数時間前に使うのをやめればゆっくり眠れてる。弱いし切れも速いんだな。ていうか何年ぶり?22年ぶりくらい?23年ぶり?やっちゃった。でもこれ日本で厳罰なだけで、アメリカのFDAとかはナルコレプシーとかADHDの第一選択薬として「Adderall」って名前でメタンフェタミンが処方されるから、まあそんなヤバい薬じゃない。でも日本じゃ捕まるから、なるべくもう買わない。大体末端価格がべらぼうに高いし、私もうおばさんだからオネエちゃんで貰えないし。シャブはあっという間になくなった。カウンセリングの日は前日の午後6時くらいからやめて、なるべくクリーンでカウンセリングに挑んだ。涙が止まらなかった。どう生きていいのかわかんないって泣いてた。精神科ではちょっとうっかり使いました程度に話した。自助グループでなんとかしてね、で終わった。自助グループのスポンサーにも話したけど、私の心配より息子の心配だった。だよね、わかる、私もそうだったもの。これまで薬使ってきた女の人たちの子供たちを心配してた。でもうちADHDのアスペだから気づかないんだよね、多分。いつも通りの順序で動いてれば。でも、覚醒剤を使っていつも通りはしんどいので、買うのはやめた。逮捕とか息子的にリスキーだし、私が育ててるから捕まってる場合ではないんだ。なので今、ハイボール飲んでる。塾送った帰り、お迎えは息子自力で帰らせるから問題ないでしょ。

でもさ、なんかとにかく寂しい。寂しいし、生きてる理由が見つからなくてつらい。迷子。迷子だわ。夢にも出てくんの、阿佐ヶ谷パールセンターみたいな、はたまた十条商店街みたいな大きなアーケード街の分かれ道で、どこに行きゃいいのか、途方に暮れるの。夢ですらそう。だから、今の人生に途方に暮れてる。でも子供育てさせてもらってるから、それで生きてるって感じ。好きな男は去ってからもう何年も経った。離婚もした。原家族はDVの夫にすがるガン女が2人で夢の世界を生きてる。好きな男と添い遂げられるんだから幸せだわね。

そんで私は、なんで生きてんのか、わかんないままとにかく生きなきゃって、ギリギリで生きてる。また学校の参観懇談で太ったって思われるかな。どんな目で見られんのか、嫌だなあ。息子は中堅の学校には入れそうだけど、それも塾の面談で聞いてこなきゃな。中高一貫の学費が出せるの、18歳までだと思うから、その間自分のできること見つけて欲しいな。

私の出来ることはまだ見つかんない。目見えなくなって、字も追えなくなって、さあどうする?って感じ。ハイボール、久々に美味いわ。誰か話し相手になってくれりゃいいのにね。