セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

ここのところ

  日々片付けをし続けてる。

病院で貰った処方じゃなんの改善もないので、色々自分で試してみることにした。

 

過食に対しては、口に物を入れて味を感じたい、そして気持ちよくなりたい、という欲求が強いので、ならば報酬系を満たしたら過食欲求が収まるのではないか、と、パーキンソン病に使う薬を個人輸入して飲んでみた。

割と効く。

 

もちろん食べたくはなるけれど、ぐっと我慢して多分2キロくらいは痩せた。数字上では6キロ痩せたことになってるんだけど、私の水分代謝は異常で、朝晩で5〜2キロ体重差があるので、脂肪か、または筋肉が痩せた量は実質2キロくらいであろう。

 

パーキンソン病の薬でアマンタジンといって、ドーパミンを補うもので、それとオピオイド系鎮痛薬を合わせると食欲がだいぶ抑えられる。これにプロザックADHDの薬を飲んでいる。

双極性障害用の薬は勝手に辞めた。次の診察で辞めたいと伝えようと思う。飲み合わせで肝臓にだいぶ負担がかかるから、飲みたくない。

 

というか、なんとか、どうにか普通の体重になって、普通の服が着れるようになったらこの薬類をやめたい。

離脱症状に苦しむだろうけど、その間は倒れていよう。続くかなあ、ダイエット。その前に薬だ内臓を壊しませんように。もう肝臓の数値はだいぶ悪くなりつつあるんだ。

 

胃のスリーブ手術も考えた。私の体重と内臓疾患では保険の対象になるし、母子家庭だから入院医療費は免除で実質タダで受けられる。親族の同意が必要だから母に同意してくれないか聞いたのだけれど、『そんな不自然な処置に同意したくありません』と断られた。

今の私の状態自体がだいぶ不自然で、それを自覚して治したい一心で頼んでみたのだけれどまあ相変わらず、私の一大事は彼女の関心事ではなく、なので渋々薬物を使っての食事制限をしている。

だって、母が提案するような断食道場になんて行ったら子供の塾の送り迎えもお勉強の手伝いも日々のスケジュール管理も全て別れた夫に任せることになるから、前夫はそんなこと出来ないし、息子に負担を掛けることは絶対したくないんだ。

 

 

なんでこんなことをしてしまったんだろう?

 

 

なんて惨い身体なんだろう?

 

 

ここまで自分を放置してしまって

 

と悔やむけれど、理由はよくわからない。考えると泣きたくなるから考えないようにしてる。

薬は幸い、それも手伝ってくれて、溢れそうになる涙を気持ちを取り直して切り替えられるようになってる。

 

根底に薄くひっそりと冷たい湖面がある感じ、触らなければ波紋は立たない。

 

そして片付けをずっと続けている。ここはまあいいか、と引き出したおもちゃ箱をまた押し込んだりもするけれど、息子の持ち物の1/3は整理できたと思う。

まだするべきだけど、年内に家のことすべてを整わせることは出来ないから、見えるところだけ、息子の生活の場だけでもなんとかしようとしている。

 

不思議なもんで、片付いてると彼もそんなには散らかしはしない。相変わらずカバン放り投げや靴下脱ぎっぱなしはあるけれど、3回くらい言えばカバン置き場に投げ込んでくれるし、洗濯カゴに放り込んでくれる。だから家は綺麗にしておいたほうがいいんだ。私のためというより、息子の教育の為に。

 

お風呂は入るようになった。手入れもするようになった。メイクも人と会うときはなるべくしている。カウンセラーに会うときにはノーメイクでぎりぎりに到着していそいそと帰ることもあるけれど。

 

足の角質も削ったりしている。基礎化粧も、以前ほどではないけれど毎日し始めている。

目も悪くなって、デブの顔も見たくないし、だから鏡を余り見なくなっていたのだけれど、拡大鏡を買って、老眼鏡も買った。

久しぶりに間近ではっきりと見る私の肌は、ネグレクトしていた期間でだいぶ傷んでた。痩せたら美容皮膚科で何か処置しよう。高額な施術は出来ないけど、安価なレーザーとかなら私にも出来るから。

 

でも痩せられるんだろうかとふと不安になる。週末は息子の保育園の同窓会が入っていて、お料理もお酒も沢山出る。食べませんように、食べませんように、食べませんように。

 

服は日本の大きいサイズじゃ、もったりしたシルエットにアースカラーで野暮ったいものばかりなので、イギリスの通販でカットソーとワンピースを買ってみた。派手な柄に沢山のサイズ展開がある。安くはないからそんなに頻繁には買えないけど、まあいいや、前よりはマシ。引き篭もって、ブカブカのアッパッパを着て寝込んでいるよりはマシだ。

コートはない。こんなに寒いのに。去年wishで買った500円くらいの4Lらへんのライトダウンを着ている。

 

カーテンも替えた。この家に引っ越してきた時から、ずっと替えたかったカーテンを。

高級なものがメルカリで安く売っていたので思わず飛びついたら寸足らずで、なので裾上げテープでトリミングしようと思う。

寝室を私の部屋にしようとしている。半年がかりになりそうだ、家具がないから揃えなきゃならない。

それまで気力が保つかなあ…

 

片付けてて時々以前の服を見てはギョッとする。

こんな小さい布の中に私のケツが収まってたの?!って。

SとかXSを着てたんだから当たり前なのだけれど、やっぱり自己イメージが破綻している。以前は自分はあんなに痩せてたのにイマイチぽっちゃりから抜け出せないと思っていて、今はそこまでヤバくないだろうと思いつつ家に戻ろうとアパートの戸に近づくと、戸のガラスに映った大きな黒い物体(私)にいちいち驚いて、ウンザリしては目を瞑りたくなる日々だ。

 

友達はダイエットを励ましてくれるけれど、そして『食うな!食うな!』と言うけれど、

でもここまで来てしまった理由はわかんないと思う。怠けて自分を甘やかしちゃったんだろうと思われてる気がする。でも、私にもわかんないんだ、なんでこうなっちゃったのか。

私、頑張り屋だった。怠けてるわけではなかった。

でももう嫌になっちゃったんだ、全部。

こんなに自信がないのに、でも仕事では賢そうに強そうに振る舞うことや、新規の男とデートしては寝てみることも、そして一番はあれ、前の彼に去られたこと。

離婚でこれまでの人間関係が断たれたことや、前の会社は事務所を閉めるとかいう理由で実質首切りにあったことも、ほらやっぱり、何にも出来ないんだ私、に拍車がかかった。

 

自信なんてない。どこにも。その内息子も離れて行くだろうし、残るは親の介護と自分の始末。

 

辞めよう、暗くなる。

 

今日はレンジフードのクリーニングを頼んだ。離婚して以来洗っていない油まみれのレンジフードを洗ってもらう。値段は少々高いけど、3年分、3年分、と思ってその額に決めた。

 

私は相変わらず人とは会いたくなくて、醜い自分を見せたくなくて、でも前より家の外に出るようになった。

 

セルフネグレクトに気づいたのが今年の1月で、もがいてもがいて今やっとここまで来た。あと1年で戻せるかな。戻して、そしたら幸せを掴めるのかな。幸せってなんだろう。愛し合う、とか信頼し合う、とかいう関係はもう持てない気がしてる。ああだめだ、また泣きそうになる。

 

日焼け止めを塗って、掃除しましょう。

 

 

 

やっちゃった

太って腰が痛過ぎて、ペインクリニックに行ったら鎮痛剤出してくれたのが効かなくて、

また行って多めに処方して貰って、でも過食スイッチが入って死ぬほど食べちゃって、自己嫌悪で一杯になって、鎮痛剤、ほんとは4錠/日まで飲んでいいんだけど追加して1日で7錠何じゃった。そしたら呂律も回らなくなって、ヨタヨタめまいして、どーしようかと思った。息子も驚いたと思う。

 

お酒で酔ってたって、呂律が回らないことがないから、怖がらせてしまったなあ…

 

そして体重計に乗ったら青天井まっしぐらで、お腹は妊婦さん以上に腫れて、もうどうしていいのか、全然わかんない。こんなはずじゃなかった、元に戻りたいって、必死で思って毎日を過ごしてるのに、結局過食の落ち込みでODだ。最悪。

なにやってんだろう、あたし。

セルフネグレクト中なにも出来なかった掃除や片付けや家具の移動、本の移動、要らないものを40Lのゴミ袋に詰め込みながら、たくさんの思い出のものが出てきて、

それをどうしていいか、わからなくて、とりあえず纏めたりしてる。

死んだ友達からもらったメッセージやものは捨てられない。

 

“you are never alone ”

 

って書いてくれたのに、彼は1人で汚い物置の中で死んでしまった。

 

ほんと人見てると、美しく死ぬ人なんて1人も居ない。そんなの幻想で、みんな1人になって、クスリやギャンブルにハマって物凄いおんぼろな賃貸ルームの中で腐って見つかる。

 

綺麗だった舞台女優の子も、最期一人ぼっちで新宿の安い部屋で腐ってた。

 

みんなそうなんだよ、死ぬときは綺麗なまま死ねない。心も身体も見た目もすさんでボロボロになって死んでいく。そんな最期、送りたくない。

 

白雪姫のように美しい硝子の棺に横たわり、王子様のキスで目覚めるなんて有り得ない。

 

神様、私にここから抜け出せる術をどうどうか与えて下さい。

あー少し眠くなったかな。

綺麗に戻って、綺麗なママになりたいら…、か!ー眠くなってきたわ。

眠剤から劣化あぉ

 

 

↑ここまで書いてるものすら呂律回らなくなって事切れた。

そして今起きた。5:58とかに。

その辺は変わんないんだな。

 

あー怖かった。

これカウンセラーに話せない。

毎日歯磨き

  とにかくなるべく毎日歯磨きをする、から始めた。そしたらシャワーも入れるようになって、湯船もたまに入るようになって、メイクもたまにするようになった。

けど、ダイエットはままならない。

7㎏痩せて10㎏リバウンド、とか、5㎏痩せて3㎏リバウンドとかを繰り返してる。

この身体のサイズの秋冬の服を持っていなくて、ネットで見てみるけど、太った人への服はどれも野暮ったくて買う気が起きない。

でも下着は少し揃えた。

自分をメジャーで測ることが嫌で出来なくて、ずっと下着を買えなかったのだけれど、やっとこのごった返した部屋から巻尺を見つけ出して、測ることが出来た。

 

頼んだ荷物が届いて着けてみると、身体のサイズに合った下着はやっぱり楽だな、と思った。

 

子供の心の具合が一時不安定になって病院へ行ったり、学校へ送ったり、話を聞き続けたり、学校と相談したりで、それに少しの間奔走したけど、今はだいぶ落ち着いてきてる。

 

昨日も塾のテストの途中パニックになって字が読めなくなったらしいんだけど、本人がパニックになったって自覚が出来るようになっただけでも随分マシなんじゃないかと思う。

何事も、まず『知る』ことから始まるから。

そして、私の今年の『知る』は私は、セルフネグレクトなんだけど、セルフネグレクトをして、食べ続けて、風呂も入らず、寝て、鏡も自然も見ずにドラマだけ見続けていたらどんどん目が見えづらくなって、今は鏡を覗き込んでも自分の顔がよく見えない。

だから肌の調子もわからない。毛穴が開いてるのか、弛み始めたのか、シミは増えたのか、何もわからない。

なので遠近乱視用コンタクトレンズに変えようと思う。そこまで(コンタクトレンズ屋まで)たどり着くのがまた一苦労なんだけど、まあ仕方ない。

 

身体は重くてしんどいなあ。しょっちゅうぎっくり腰を起こしてるし、歩くのも大変だし、アパートの階段を下りるのが怖い。うちのアパートの入り口のガラス戸に自分のシルエットが映るとそこには大きなゴブリンのようなものが映っていて、この姿は私ので、それを見たくないから、家ではほぼ鏡は見ない。

 

前は鏡を見ることが大好きだったのになあ。お化粧も大好きだったのに。

また元に戻るんだろうか。戻ったとして弛んだ皮が残るんだろうなあ。でも今よりは多分マシだ。引き篭もってた去年よりも今がマシ。

多分。

 

人生の斜陽をいよいよ噛みしめる前に、先に心が壊れてしまって、まずは人並みに戻す努力をしようと思う。

老いを慈しむのはまだ先だ。生きなきゃ。めんどくさいけど生きなきゃ。

 

 通っている精神科の先生が出す薬じゃこの状態が全く何も変わらなかったので、実は個人輸入プロザックを買って飲み始めた。

そしたら毎朝なんとか這々の体で起き上がっていたのが、割とすぐ起きられるようになった。

だからプロザックが凄く効いたんだと思う。

 

更年期も始まってるのかもしれないなとも思うけど。

 

プロザックは鬱に使う量じゃ足りなくて、強迫神経症に使う量を飲んでみてる。その事も先生伝えて、日本で認可されているものに移行させようとしてるんだけど、なかなか薬が合わない。調整中だ。

 

子供の学校の行事への参加はまだ出来なくて、子供に可哀想な思いさせてると思う。

 

でも、温泉に行きたいなあとか、美術館に行きたいなあとか思い始めてる。

 

そこまで快活には動けないので、思い描くだけだけど、行きたいという欲求が生まれた事が治りつつある証拠だと思う。

 

8月ごろからカウンセリングに行き始めた。

週1で50分。

カウンセリングは20代から何度も受けてきたけど、ここ数年は受けていなくて、新たに出会った先生は近からず遠からずの距離感で話を聞いてくれて、少し物足りない感じが私にとって良いみたいだ。

必ずカウンセリングに行きたいと思えて、具合の悪い日も遅刻してでも行けるようになってる。

 

 痩せたら顔のお手入れを再開させようと思っていたのだけれど、一向に痩せないので、もうお手入れして見ちゃおうと、昨日美容皮膚科でピーリングをして来た。

顔の細かなところは見えないのだけれど、だから毛穴の調子とかは分からないのだけれど、手触りは少しよくなった。

 

でも美容クリニックに来てる女の人は相変わらずみんな綺麗で、とびきりの美人もいて、その中で私は醜いなあ、汚いなあと思いながら待合室に座っていた。

 

やっと呼ばれて顔を洗って施術してもらっている間、あの例の病院の幅の狭いベッドに寝かされるんだけど、

施術が終わって

「はい起き上がってください」

と看護師に言われても、トドみたいな私は捕まるところも無くて、なかなか起き上がれないのが恥ずかしかった。

 

見学の若い医師も入ってたから、仰向けになったこの醜い身体を一度うつ伏せに変えて、膝を立てて起き上がる姿を見られているのが嫌だった。

首元の開いた服を着ていたから、這いずりのような姿勢になった時に、垂れ下がった肉が服の首から見えただろうと思う。

そんな羞恥心を持ちながら、さも平気な顔をして、帰り際、私は車で来ているのにも関わらずよっぽど同じテナントに入っている居酒屋で一杯引っ掛けて帰ろうかと迷った。

すごいストレスだったんだろう、

けど、それはいかん、いかん、と言い聞かせて家路に着いた。

 

生きるってまだまだ続くんだね。

 

勝手に死んでも迷惑だしね。

幸せになりたいなあ。愛されたい。頼りたい。      

 

愛されてるのが羨ましかったりする。

 

そう考えると胸がギュッてして来て目頭が熱くなる。のでこの辺でやめ。

 

 

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おばけのようだ

嫌われ松子の一生の、松子の死ぬ間際のような私になっている。

そう死ぬんじゃないかとゾッとしてる。

 

 

お風呂は入るようになった。

ご飯も前よりは作っている。

歯も磨くようになった。

部屋も前よりは片付けているけれど、身体は相変わらず丸々と太って醜い。

 

仕事関係の人にも会いたくないので会っていない。なので仕事は来ない。

 

このままなんだろうか。

毎日何度も痩せようと、気を張り縛って思うけれど食べてしまう。

ものぐさでじゃない。そう思われるのだろうけど。

色々調べたらこれは神経性過食症というもののようで、それに処方される薬はSSRIの初期のものでプロザックだった。

日本では未承認なので、個人輸入をして、縋る思いで飲む。

MDクリニックダイエットというタイの病院の薬も個人輸入した。調べると向精神薬と、甲状腺粉末と利尿剤とエトセトラだ。

それも飲む。

カラフルな色合いの大量の薬を眺めては、ふと岡崎京子の『ヘルタースケルター』の末期のリリコのようだなと思う。あんなに綺麗ではない。綺麗を保つためにするのではなくて、もう一度人間に戻れるように飲む。

 

けれど、食べてしまう。特に効かない。

 

胃のバイパス手術は近くの町ではやっていない。東京に泊まりで行かなければ。

いくら掛かるんだろう。そんなことばかり考えてる。

 

嘔吐はしない。出来ない。

さっきも食べてしまった。

 

今度、臨床心理士のところへ行ってみようと思う。何度目だ。合う人でありますように。

全てが縋る思いだ。

 

こんな醜くて生きていたくない。

けれど何もかも一歩からなので、お風呂、着替え、シーツ替え、子供の世話、仕事、何もかも一つずつ、やっていかねば。

こんなに羅列してはいけないのだ。

なのに頭の中に『to do list 』が湧き出る。

私は子供にとって良い親でいれているだろうか。

すでに片親で、暮らしぶりも普通とは違うけれど、それでもあの子にしわ寄せが行かないようなんとか、なんとか、頑張ってる。

 

ゆるされたい。

 

どこかでゆるされたくて、カウンセリングを受けてみる。

 

万策尽きた頃に何か突破口が空くんだろうか。

ジリジリ焼かれながら生きる思いだ。

神様どうか、もう少し生きやすくなるように、ことを進めてください。

母にメールをした。全部貼る。

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 「あなたが私のする事について叱る、 いましめる仕方・内容について、


『それはこれこれこういうことだから、 今私に対してのその接し方は適当ではない』


と伝える、を繰り返すことに疲弊しています。


私は普通の状態ではないです。 それを何度もあなたに伝えていますし、自分でもわかっています。


その範囲で、私が一番やってはいけないことは、

 

・子供の世話を放棄すること


・深酒をすること


・違法薬物に手を出すこと


・今現在飲んでいる処方薬を指示された量以上に飲むこと


です。その全てを私はしていません。死守しようと思ってその通りに今まで来ています。


あなたにわかってもらいたいために、言葉を尽くして、 けれどもわかってもらえない、の繰り返しに私は疲れます。


だから、会えないのです。 あなたは何度も今話した話を忘れては、 私の何か1つのbehaviorを目につけてそれを悪とし、 正そうとします。


そして、それに刃向かうと、


『これを言うのは一般的な親として妥当だ』


とその正当性を声高に主張します。
そのこと自体が今現在の私を見ていないという何よりの証拠になり、 私は二度傷つきます。

 

わかってください。


私の今は長い鬱状態のために、

 

大好きだったお風呂に入ることがかなり困難で、
あんなに丁寧に磨いて居た歯磨きもしなくなり、
掃除や炊事をする度に一回一回疲弊し、
そのあと動けなくなり、
着る服もなく、
この巨体になった為下着は数える程しかなく、
醜い身体では服を楽しむこともできず、
あんなに好きだったお化粧も嫌いになり、
鏡を見るのが苦痛で全く自分の顔を見なくなり、
巨体のために腰や背中や脚や膝を傷めることを繰り返し、
日々浮動性のめまいに襲われ、 
血圧は150まで上がり、
家や外では壁を伝って歩き、
やっと入ったお風呂では鏡を見なければならず私は充分に醜く、 しかしこの先の見通しがつかず、
とてもみっともないのです。

 

その上で私をいさめると言う行為は、 あなたに私の今を無視され続けているように感じてとても哀しいし 、ショックだし、虚しくなります。

 

あなたがうちに来た時に私がすること、


・夜食べてしまうこと


・飲酒すること(2杯程度


について、きっとまた同じようにあなたに窘められ、
そこまで咎を受けることではない、 これは全部主治医に報告していてやめなさいと言われていないと、 と伝え続ける元気が私にはもうないし、
私の言葉では足らず、 主治医の見解がないと信じてもらえないことに傷つくし、 何より咎められるのがもう辛くて、会えないです。


今後立ち直れるのかどうかわかりません。全く自信はありません。


わかって欲しいと願わずにいられないので、会えないです。


本当はもう何もしたくないです。ずっと何もせずにいたいです。 生きているので、生活しなければならないのだけれど。

——


今父から電話がきました。
早く治って欲しいとのことです。
息子のために。PTA事を出渋るのは、息子に矛盾が生じると。  

全くその通りで、でも学校行事へは行けないです。
長く歩けないし、人と会いたくないし、 会って社交辞令であっても口も聞きたくないし、 長く立っていられないし、支えがないと倒れるし、 少し立っているだけで汗だくになるし、何より醜いです。
歯もあまり磨いていないので黄色くなっているでしょう。


こんな親ではいけないと思いますし、 そうあなた方に思われているでしょう。


私の世界観を作ったのはあなた方なので、
あなた方が『良くない親、子、人』と感じることは、 当然私もそう感じるのです。


変えたくて、惨めで、でも変えられなくて、 死ぬのは迷惑がかかるし、
なので1月から


やっとお風呂に入り始めたこと、

 

歯磨きをするとこ、

 

と言うレベルで、それも三歩進んでは二歩下がる程度の歩みです。


これはセルフネグレクトです。 セルフネグレクトの治し方は今現在この世の中に確立されていませ ん。


一生このままかもしれません。


もう許してください。」

 

 

 

脱出出来ない

何がどうしてこうなっちゃったんだろうと考える。考えるというか、知って憐憫の淵に居たい。だから私は仕方がないんだとか、憐れまれて赦されたい。

お風呂は入れるようにはなった。

身体は醜いままだ。昔の私を知っている人(とは言ってもサービス業の人に月に一度くらいしか会ってないけれど)からは、当たらず障らず、でも昔とは待遇が全く違う。

醜くなると、大切にもされなくなるんだなと思った。

テキストのやりとりだけの人なら、私を大切にしてくれるだろうか。

私が自分を大切に出来ずに、食べることで得るドーパミンの快感だけを頼りに生きているのだから、大切にされなくて当たり前なんだろうか。

 

この状態をどう脱すればいいのか、調べてみてもネットには出てこない。人との繋がりを断ちがちで、ゴミ部屋で、云々は出てくるけど、じゃあどうすればいいのか、なんてどこにも出てこない。状態や、至った経緯を読みかけては胸がえぐられそうになって、そのページを閉じる。

だからはてさてこう抱えた劣等感を、どうすればいいのかわからない。醜い私は人前に出たくない。今を受け入れて、外を歩くなんて出来ないし、誰かとまた会いたくもない。

知り合いに会って呆れられたくないし、打つ手なしと判断されたくもない。 

 

誰とも話さないでいる。子供とだけ話している。あの子がいなければ、消えたいと思う。でもこの巨体を殺すのは大変過ぎて、私には出来ない。あの子の眼に映る私だけが、私の生きる理由だ。

 

愛する人は去った。

父や母はまだ生きているけれど、心は通わない。

父と母はアスペルガーなのだと思う。そう考えれば納得が行く。

私を性愛的に愛する人は居ない。居たと思ったのは幻だった。捨てられてからもう数年経った。

それからは好きになる人は居ない。寝た人はいるけど、誰も愛せなかったし、愛されなかった。

こんなものなんだろう。人生の出来事はもうたくさん起きたから、もうあまり凄いのには出会わないだろう。災害に遭ったらまた大変になるんだろうな。日本の何処に居たって安全な場所はないんだろうから。

 

早く抜け出したいのだけれど、抜け出せない。毎日抜け出そうとするけれど出来ない。またお腹いっぱい食べて苦しくなってる。

ここから出たい。つらい。

おはようの唄

この4年間に、何があったんだろうと考える。色々あったけど、生きていることは素晴らしいことなのかな。ひどい時期はその前にもあって、それでも今生きているということは幸せなのかな。生きている事自体は幸せなのかな。人を育ててるから、それをできるということは幸せなのかな。辛かったら、最悪の時を思い出せと、それよりはマシと捉えろと教えられたけど、いつが最悪なんだろう。惨めな人生だ。惨めだらけなのだけど。

子供の頃はひどい虐待の日々だったし、3年間ひどい虐められ方をしたし、私には小さい頃から盗癖が出て、居場所をいつも探してたし、学生の頃は皆んなと同じように振る舞えるように、さも彼女らと同じように取り繕ってたし、いつも毛色の違う自分に疎外感を感じてて、いつのまにかゴミみたいな場所でゴミみたいに生きる女になったこともあったし、そこからなんとか脱出して、まだまだある、ああ、わたしはなんでまだ生きているんだろう。生かされているんだろう。投げ出すこともおこがましくて、今は醜いわたしのまま生きてる。ネット上で親しくなった人にまで嫌われたくないから、もう本音を言えなくなってる。今朝は悲しいな。とても悲しい。