セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

5月半ばに書いたらしいものと、今を書く。というか貼る

5月半ばも過ぎてしまったわ。

驚き。ダイエットは上手く行ってない。季節外れの梨を主食にダイエットしてたんだけど、さすがに春、初夏に食べられる梨はなくて、パイナップル食べ始めたら止まんなくなった。止まんなくなったって言っても多分基礎代謝くらいのカロリーしかたってないから痩せないだけ、維持してる。72よ?大デブ。でも大大大ではからは脱した。下着がゆるゆるになった。履けるスカートも出始めた。でもこの大デブのサイズの服買いたくないから、ちいちゃい可愛いパンツ履けるまで、そんな小ぶりなケツになるまでお預けなんだ。

こないだ私の誕生日があった。私は私のために財布とボディオイルを買った。高価な財布を自分で買うのは、多分生涯初めてだと思う。高いブランド物のやつはその時付き合ってる男に買ってもらってた。ブランド物狂いじゃないけど、何か一つ持つと、すこし自分がそれを持つその価値のある人に思える。3年前から欲しかったやつで、その当時に口説いてきてた男にこれ欲しいって頼んでたのにコーチの可愛らしいやつよこしやがって、だからずっとそれを使ってたんだけど、その男は20万をバックれて私の前から消えた。だから財布かえたかったんだ。よかった、可愛いの買えて。息子は私の誕生日だとかなんだとか全然わかってなくて全くいつもの朝で何度声かけても起きない息子見ながら私は少し悲しくなったんだけど、なのでその日のカウンセリング後、新規開拓でマツエク屋を予約して、上下バサバサつけ放題(高額)を選んだ。あれも私へのプレゼント。誰に見られるわけでもないし、誰に痩せたと言われるわけでもないし、そうそう、4月、息子の小学校の顔合わせ懇談会に出た。

 

 

 

次はこないだの話

 

今朝も息子は全然起きてこないので、メール打ってほっといたらやばい時間に起床。

一応新撰組で返してきたので塾ありがとう。

息子的には卵かけご飯かっ込んでダッシュで登校したいところだけど昨日の夜ママはあさりの砂出ししてたからあさり汁飲ませたいし、
それだと野菜がないからバナナとブルーベリーヨーグルトも食わせたい。
それ食って貰いながら昨日母の友人にやっとかけた電話で聞いた衝撃を受け止めようと踏ん張りながらBSニュースじゃなく珍しく地上波観てた。登戸の事件の詳細が知りたかったから。
息子がそんな通魔に殺されたら、息子の葬式出す前に私死ぬと思うくらい悲惨でやりきれない事件で、
死んだ犯人はネグレクト受けてたADHDのひきこもりの50代。
全然人ごとじゃねえし、私もネグレクトとDVを経てまともに生きれてないロスジェネ世代の1人だけど、どうもなんかここんとこフラッシュバック(当時の感覚に戻る)してるっぽくて昨日から何もできない。

私はDV家庭に育ったのは自覚してたけど、養育的にはネグレクトもされてたんだと最近気づいて、あの状況を他の大人は知っていたのか、当時周りに居た大人2人に聞いてみた。
そしたら叔母は知らなかった。それを聞いて、私全く何も発信出来てなかったんだなと知ったし、叔母の家に行くとキチガイの祖母は居たけれどもいつも整っていて安全な豊かな環境のように思えて、従兄弟と叔父の社会談義は親子なのに対等に見えて羨ましかったし、でも私は仕方ないここには生まれてこなかったんだから、と諦めてた。

多少はうちの家のこと、親戚に知られているのかと思っていたけど、全く知らなかったなんてDVや虐待のある家庭で育った子供は世間にSOS出せないんだなと、改めて知ったし、そんな子見かけたら声かけするし通報しようと心に決めたんだけど、
昨日もう1人、思い切って電話をかけた母の50年来の友人は、うちの惨状をまるごと知ってた。

「あんたのお母さんはさ!お父さんのことが好きでたまらないのよ、だから離れられないんだって。それはいい事でしょ?それで添い遂げるってんだからなかなかないよ?あたまがそれでお父さんばかりに行って、
あんたがネグレクトされてたのは一緒に働いてたから知ってた。DVも私の娘すら知ってる。
こんな遅い時間まで家に帰らないで小さい子家に1人にして…とは思ったけど、言えなかったし、助けらんなかったよ。あんたもさ、そんなことは忘れて前へ歩きなさいよ!」

って言われた。

 

そんなこと忘れて前へ歩こうとするたびにつまずいて、だからその真相を知ろうと掘ってったら被DVかつ被ネグレクトだった。


アラフィフでやっと知った。 


その頃、多分私の根本的な承認欲求が満たされていなくて、いつまでも母に認められることに固執するし、認められなくて傷つくし、どう働いていいのかわからないし、世間に対してとても緊張するし、仕事が来ても自信がなくてたまらないんだとわかった。なんとなく。


母はかつ、自分の代わりに私に暴力を受けることと、私に父の世話をさせてた。


けれどそれで彼女からは女としての嫉妬も受けちゃってて、なんだかよくわからないめちゃくちゃな世界に私は居たんだって、やっとわかった。

父の浮気相手がわたしと似てると彼女は言い放ったんだ。後で見てみたら似てるようにも思わなかったけど、彼女の中では似てんだろ。しらんわそんなもん。


さて、どこにもっていってどう正したらいいんだろうこれは。母も父も相変わらず私に弱音を吐き続けては構ってくれ、知ってくれと亡者の如く縋ってくるけど、
でも私が倒れて、シンドイ、タスケテと縋っても彼らは見て見ぬ振りして金を置いてくだけだ。父なんかは

 

「お前のそれは道理に合わないから治せ」

 

とかいうし、話にならない。

お金を頼れない時もあったからその時は本当に追い詰められた。

 

人に話せば、でも金置いてくだけマシじゃないとか、親がいるだけマシじゃないとか、
言われりゃどのサイドからも幸せって言えるし不幸だっだって言えるから、
そしたら私は空爆のない国に生まれたし、身分制度の強い社会には生まれなかったし、
近代的な文化をもつコミュニティで生まれたから幸せなのかもしれない。


で、そっちじゃないところを見るとき、あの時私をみていた大人たちは何を知っていて、何を黙殺したんだろう、と今更恨みが湧く。

 

学校の先生や同級生の親や近所の人は知ってたと思う。
向かいの団地に住んでた児童文学の先生は夜中の怒号を聞き続けてたまらなくなったんだろう、私を度々部屋へ呼んでくれるようになった。
秘密の花園のような大小綺麗な本が迷路のように並ぶ本棚だらけの部屋は私のオアシスの一つになった。けれど私はその時すでに歪んでもいて、彼女が1番大切にしてた綺麗な妖精の本を私はある日盗んだ。
それからその家には行けなくなった。
私のオアシスは私のせいで消えた。

 

これを叔母に話したら

 

「きっとその先生はそれをあなたが盗ったこともわかってて、それでもお家においでと思ってくれてたとおばさんは思うよ」

 

と言ってもらえて、ああそうだなあ、私が彼女ならそう思うなあと、やっと赦された気がした。

 

知らなかった叔母は優しく聞いてくれた。

 

DVやネグレクトを受けてることを当時から知ってた大人は、黙殺して、

 

「そんなこと忘れな!」

 

って言った。

 

忘れよう、自分のために生きようと頑張るたびに転ぶから、ここまで掘る必要があったのだけれど、まあそりゃみんな保身に出るのは仕方ない、母も父も老いが辛い病気がつらいと度々連絡してくるけど、そしてその電話を受けるたびいつ死ぬか、死んだ知らせか、と私はいつも掻き乱されてハラハラするのだけれど、いつもなんてことない、ただ彼らは昔からの関係と同じく娘に甘えてるだけなんだ。

 

私はいつも親戚の中で毛色の違うお荷物として捉えられてると思ってた。現実学歴はないし、職歴もないし、資格もないし、仕事も出来ない。

 

でもあることから、その私のイメージを私と親戚に植えたのは母だと知った。残念ながら。

 

父は勿論気がおかしい。でも母も相当ひどかったんだ。

 

「あの2人はさあ、社会的地位もあったでしょ?そこに対するプライドも大きかったのよね」

と、母の友人は言った。


私が問題を起こして公になるのはどうしても避けたかったことを言ってるんだろう、
そんなエピソードはたくさんあって、なぜあの状態で私を病院へ連れて行ってくれなかったのか、何故親身に治療のサポートをしてくれなかったのか、母は頭のいいバイタリティ溢れる当時では珍しいキャリアウーマンなはずなのに、
何故私のこととなると木偶の坊になるのかすごく不思議だったけど、感情がないわけじゃない、
母の友達とは心交わせるらしいし、やはり聡明でカリスマ性のある女で、1人の男を愛して、その男と生きるために生まれた“副産物の私”は適当に転がして、仕事と男に人生を尽くしたんだなと知った。

転がしてっていうか、元々子供を育てる事に優先順位が低かったのだろう。ナマでセックスはすれど、生まれてくる子のことを思ったことなんてないんだろう。

わたしもそうだ、ナマでヤッたときに妊娠なんて考えやしない。


まあ多分、この理解で方向はあってんだろうと思う。

 

私はそんなこと浮かびもせず、暴れる父から母を守ろうと守ろうと小さい頃からずっと必死で頑張ってきた。震災の時もそう。そう考えると結局母はなんてしたたかな女だったのだと思う。
そして今も彼女はなんの罪悪感も抱くことなく、私はうちのお荷物のままだ。


私は当時の世間を恨んでる。あの時見て見ぬ振りをした大人たちを呪う。ここんとこ、虐待や虐待幇助で逮捕される親たちを見るたびに、こんなことで捕まえてくれるのかと失笑してばかりだ。

でも私が養護施設で育ったら、それはそれでどうなんだろう。

私はいい親がどう言うものかわからないけど、息子には出来るだけサポートしたいと考えてる。

私は母を尊敬してたので、そんな女だったことにがっかりだ。
まあでも、
度々アレ?おかしいな、と思うことは思えばポロポロあった。

信念もそう、ファッションフェミニストっていうか、そんな感じ。なんの信念も貫いてなかったわ。アホくさ。何がアジテーションの女王だ。

息子に言わせてみれば

「おばあちゃんはサイコパス。おじいちゃんはアスペだね」

とのことで、だいたいあってるんじゃないかと思う。

気持ちも話もまとまらないし、お叱り受けるのも嫌なので、観れるの何人かにしよ。

こんな長くまで読まねーよな。ご苦労さん。

 

 

これをどこかに書いた。少し加筆。noteにでも書いて、投げ銭もらおかな。

 

愛はとこしえに。ほしい愛はわたしの手には届かない。