セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

脱出出来ない

何がどうしてこうなっちゃったんだろうと考える。考えるというか、知って憐憫の淵に居たい。だから私は仕方がないんだとか、憐れまれて赦されたい。

お風呂は入れるようにはなった。

身体は醜いままだ。昔の私を知っている人(とは言ってもサービス業の人に月に一度くらいしか会ってないけれど)からは、当たらず障らず、でも昔とは待遇が全く違う。

醜くなると、大切にもされなくなるんだなと思った。

テキストのやりとりだけの人なら、私を大切にしてくれるだろうか。

私が自分を大切に出来ずに、食べることで得るドーパミンの快感だけを頼りに生きているのだから、大切にされなくて当たり前なんだろうか。

 

この状態をどう脱すればいいのか、調べてみてもネットには出てこない。人との繋がりを断ちがちで、ゴミ部屋で、云々は出てくるけど、じゃあどうすればいいのか、なんてどこにも出てこない。状態や、至った経緯を読みかけては胸がえぐられそうになって、そのページを閉じる。

だからはてさてこう抱えた劣等感を、どうすればいいのかわからない。醜い私は人前に出たくない。今を受け入れて、外を歩くなんて出来ないし、誰かとまた会いたくもない。

知り合いに会って呆れられたくないし、打つ手なしと判断されたくもない。 

 

誰とも話さないでいる。子供とだけ話している。あの子がいなければ、消えたいと思う。でもこの巨体を殺すのは大変過ぎて、私には出来ない。あの子の眼に映る私だけが、私の生きる理由だ。

 

愛する人は去った。

父や母はまだ生きているけれど、心は通わない。

父と母はアスペルガーなのだと思う。そう考えれば納得が行く。

私を性愛的に愛する人は居ない。居たと思ったのは幻だった。捨てられてからもう数年経った。

それからは好きになる人は居ない。寝た人はいるけど、誰も愛せなかったし、愛されなかった。

こんなものなんだろう。人生の出来事はもうたくさん起きたから、もうあまり凄いのには出会わないだろう。災害に遭ったらまた大変になるんだろうな。日本の何処に居たって安全な場所はないんだろうから。

 

早く抜け出したいのだけれど、抜け出せない。毎日抜け出そうとするけれど出来ない。またお腹いっぱい食べて苦しくなってる。

ここから出たい。つらい。