セルフネグレクトからの脱出を図るブログ

セルフネグレクトと自覚した2018年1月からなんとか脱却するために書き始めました。その記録と心情の変遷です。

徹底できなかった

夜少し食べてしまった。徹底しないと痩せないのに。そして自己嫌悪している。明日こそは食べませんように。

私がなぜ今回セルフネグレクトだと自覚したのかというと、社会との関わりをどんどん切って行って、今や話す相手は息子のみになってしまっていたからだ。日々ネットの中でテキストでの会話はあるけれど、どこのコミュニティにも属さず、ただ一人この家にいる。息子は学校やら友人やら習い事やら父親やらと日々会う機会があるけれど、私にはなかった。会いたい人も、話したい人もいなかった。誰にも私の気持ちはわからないと思っていた。だれか振り向いてくれたらなとは思っていたけど、否定されるのは怖かった。助けてを言う場所は思いつかなかった。セルフネグレクトなんてカタカナで定義されるとなんのことやらだけれども、都会のゴミ部屋の中でひっそりと孤独死する輩勢がこのセルフネグレクト状態の最終形態なんだ。私はそうなりかけていた。

 

私もかつてワンルームのアパートをゴミ部屋にしてしまったことがある。あれは21歳頃から24歳ぐらいまでで、最後は産廃業者の手を借りて、卒業アルバムから何から何まで捨ててやっとゴミ部屋から脱出出来た。産廃業者が部屋に入るのを母と立ち会ったけれど、あんな屈辱はなかった。嫌でどうしようもなかった。大家には退去勧告を受けていたので、その掃除とともに私の部屋は私の部屋でなくなった。下北沢の外れの、閑静な住宅地の中の小さなアパートだった。

それを思うと、私にはもともと自分を放棄する癖があるのだなと思う。

私は私を生きるのをやめたのだ。もし今息子がいなければもっとひどい状態になっていただろうと思う。離婚をして親子二人暮らしになって、色んなことが起こって人間不信に陥り、友人関係を切って外に出なくなって、今の私の命綱は息子であった。あの子がいたから洗濯物もやるし食事の支度もするし、時間の流れも把握できたんだ。